簡単な問いには簡単な答えがあるか? そうとは限らない。

スペンサー・R・ワート (Spencer R. Weart)、 [勤務先: アメリカ物理学協会 (American Institute of Physics)] [地球温暖化に関する科学史のサイト] によるゲスト投稿, 2008年9月8日
日本語訳: 増田 耕一 (Kooiti Masuda), 2008年9月16日

わたしはしばしば、科学の訓練を受けた人々から、温室効果気体の排出がもたらす地球温暖化についての簡単な計算のしかたを知りたいという電子メールを受けとる。 温度がどれだけ上昇するかをきちんと予測するにはどの物理方程式とどのデータがあればよいのか? 自然な質問だ。 温室効果の一般向けの説明ではふつう、それは基礎的な物理学の問題だと言われているのだから。 この人々 --年長の技術者であることが多い[注(下へ)]-- は、専門家が彼らの質問を避ける態度をとるとき、疑い深くなる。 彼らのうち一部の人々(たとえばモンクトン(Monckton)卿 [RealClimateの別記事(英語)参照]) は、自分で答えを出そうとする。そして専門家が彼らの美しい理屈を却下すると不平を言う。

危険な[と言われる]地球温暖化の因果関係は1ページほどの方程式によって証明できるはずだという技術者の要求は正当であるように思われる。 そしてそれは長い歴史を持っている。 歴史をふりかえれば、簡単な答えを求める人の期待が裏切られるのは気候システムの性質から必然的にくることなのだということが明らかになる。

地表面温度を計算する最も簡単なアプローチは、 大気を、上空に水平に吊られた一枚ガラス板のようなものとして扱うことだろう (RealClimateの別記事(英語)で、いわゆる温室効果の基礎を説明したときにもそうしている)。 けれども、その仮定による方程式から得られる地球温暖化の数値は、大まかな意味でも現実にありそうな値ではない。 希薄で、冷たく、水蒸気の少ない高層の大気から、密度が高く、暖かく、湿っている下層の大気までを熱放射が通り抜ける過程を、一括して平均値によって計算してはいけないのだ。 すでに19世紀に、物理学者は「1次元」モデルを使うようになった。 つまり、大気が水平方向には地球のどこでも同じであると仮定して、 放射(電磁波)が、地表面から大気上端まで広がる気柱を上向きあるいは下向きに通り抜けるときに、どれだけ透過し、どれだけ吸収されるかを検討した。 これが「放射伝達」の研究、優雅でむずかしい理論的学問分野だ。 その分野では、 太陽光が地表面に達するまでに大気のそれぞれの層をどのように通過するかを計算し、 また、地表面から上向きに射出された熱放射が、それぞれの層をどれだけ暖め、 どれだけのエネルギーが層どうしの間で上向き・下向きにやりとりされ、 どれだけが宇宙空間に抜けていくかもを計算する。

学生たちが物理学を学ぶとき、教材として示されるのは、少数の法則に従ってすばらしく正確な答えが得られるようないくつものそれぞれ単純なシステムだ。 1ページほど数式を書きならべれば答えが出てしまう。 現実にはとてもそんなに簡単に解けるものではないずっと多数のシステムがあり、 教材のシステムは選ばれた少数例にすぎないことを、教師たちはめったに指摘しない。 大気の1次元モデルは1ページの数式計算では解けない。 気柱をいくつものレベルに分け、鉛筆あるいは計算機を取り出して、それぞれのレベルで何が起きるかを計算しなければならない。 もっと困ったことに、二酸化炭素と水蒸気(2つの主な温室効果気体)による放射の吸収や散乱は波長によって違う。 そこで、放射を波長別スペクトルのいくつもの部分に分けて、それぞれの部分について同様な長い計算をくりかえさなければならない。

1950年代になって初めて、科学者は、赤外放射の吸収についてのよいデータと、 その膨大な計算を実行できる速さをもつディジタル計算機を使えるようになった。 ギルバート・N・プラス (Gilbert N. Plass) は、そのデータと計算機を使って、 気柱の二酸化炭素をふやすと地表面温度が上がることを示した ([RealClimateの別記事(英語)参照])。 けれども、だれも彼が計算した精密な数値 (CO2濃度が2倍になったら温度が2.5℃上がる)を信頼しなかった。 批判者たちは、彼が多くの決定的な効果を無視していたことを指摘した。 第一に、もし全地球の温度が上昇しはじめたら、大気はもっと多くの水蒸気を含むだろう。 水蒸気の温室効果によって、温暖化はさらに強められるだろう。 他方、水蒸気がふえるならば、雲もふえるのではないだろうか? そして、雲は日陰をふやすことによって、温暖化を弱めるのではないだろうか? プラスも、それ以前のだれも、雲量の変化の計算を試みていなかった。 (詳しくは 科学史サイトの 記事(英語) またはワート著「温暖化の発見とは何か」の本の第2章を参照。)

続いて、フリッツ・メラー (Fritz Möller)が、温度に伴う絶対湿度(水蒸気量)の増加を考慮に入れた先駆的な計算をした。 結果は大変なことになった。すさまじいフィードバックが現われたのだ。 湿度が上がると、ふえた水蒸気によって温室効果が強まるだろう。 そして温度は急激に上昇するかもしれない。 このモデルからはほとんどいくらでも高い気温を得ることができた。 このおかしな結果に刺激されて、 真鍋淑郎(Syukuro Manabe)は、もっと現実的な1次元モデルを開発した。 彼は、気柱の中で対流が起き、その上昇流が地表面から上へ熱を運ぶという、 それまでのほとんどの計算で考慮にはいっていなかった基本的なプロセスを含めた。 メラーのモデルで地表面が限りなく暖まってしまったのは、 彼のモデルが暖かい空気が上昇するという事実を使っていなかったことから、 当然の結果だったのだ。 真鍋は、雲の効果についても大まかな形で計算に含めた。 1967年までに、彼はリチャード・ウェザラルド(Richard Wetherald)とともに、 CO2濃度が上がるとどうなるかを示すことができるようになった。 彼らのモデル [Manabe & Wetherald (1967)の論文要旨(アメリカ気象学会誌のサイト、英語)] は、もしCO2の量が2倍になったら、全地球平均の温度がおよそ2℃上がると予測した。 これはおそらく多くの科学者に温室効果による温暖化についてまじめに考える必要があることを確信させる最初の論文だった。 この計算は、いわば、「原理の立証」だった。

しかし、地球温暖化が問題であることの証明を要求する年長の技術者に真鍋・ウェザラルドの論文のコピーを渡しても、たいして役にたたないだろう。 論文には、いわば舞台裏で行なわれている複雑で長い計算のスケッチだけが書かれている。 そして、当時もそれ以後も、この論文の数値を正確な予測としてはだれも信用しないだろう。 まだモデルに含まれていない重要な要因がとてもたくさんあった。 たとえば、人間活動に由来する煙、塵、その他のエーロゾルが放射とどのように相互作用するかを、また、エーロゾルがどのように雲に影響を与えるかも、 考慮に入れなければならないことを、 科学者たちが認識するのは1970年代になってからだった。 そしてそのほかにもいろいろな要因がある。

温室効果の問題は気候学者がこのような壁にぶつかった最初の事例ではなかった。 たとえば、大気の単純で重要な特徴である貿易風を再現する計算の試みがあった。 理論家たちは何世代もの間、 回転している球面上の流体の運動と熱伝達についての基本方程式を書いて、 数行、数ページ、あるいは数十ページの理論計算で この惑星全体としての南北鉛直循環の細胞構造と風の分布が得られるような 精密な記述を作り出そうとした。 それはみんな失敗した。 1960年代になって強力なディジタル計算機が出現して初めて、 何百万回もの数値計算によって、問題を解くことが可能になったのだ。 もしだれかが貿易風の「説明」を求めるならば、わたしたちは細かいことをとばして、 熱帯の加熱、地球の自転、そして傾圧不安定[温帯大気で起きている重要なプロセスの名前]に関する話をすることができる。 けれども、もし実際の数値を詳しく示せと強制されたならば、 プリントするとトラック1台ぶんにもなる大量の算術計算を羅列することしかできない。

わたしたちが温室効果を理解していないというわけではない。 わたしたちは、その基本的な物理をよく理解しており、 科学者ではないが好奇心をもっている人向けに、それを1分間で説明することができる。 (このように... 温室効果気体は太陽光に対して透明である。 したがって太陽光は地表面に達し、地表面を暖める。 地表面は上向きに赤外線を放射する。 赤外線は大気中のさまざまな高さで温室効果気体によって吸収され、空気を暖める。 空気は、そのエネルギーの一部を地表面に戻る赤外線として放射する。 そこで地表面は温室効果気体がない場合に比べて暖かくなる。) 科学者向けには、数個の段落の文章で、技術的な説明をすることができる [RealClimateの別記事(英語)参照]。 けれども、もし信頼できる数値がほしいのならば --温室効果気体の濃度を引き上げることが、ささやかな温暖化をもたらすのか、 破局をもたらすのかを知りたいのならば-- 湿度、対流、大気汚染起源のエーロゾル、そのほか盛りだくさんの気候システムの特徴を いっしょに組みこんで、計算機による長時間の計算をしなければならない。

物理学には、見かけは簡単だが、簡単な手続きでは計算できないような現象がたくさんある。 地球温暖化もそうだ。 人は、わたしたちがどれだけの温暖化にぶつかりそうかを予測できるような短くて明確な方法をほしがるかもしれない。 残念ながら、そのような簡単な計算方法は存在しない。 実際の温度上昇は何百という要因の間の相互作用に起因する創発現象[構成要素それぞれからでは説明できない特徴を含む現象]だ。 その複雑さを認めることを拒否する人々が、 簡単な計算を求め、それに答えが得られなくても、驚くべきことではない。

[注(2008年9月10日づけコメント152番より)] 技術者のみなさん、すみません。 ここでは観察された事実を報告しようとしただけだ。 温室効果に関する簡単で科学的な計算がウェブ上に見つからなかったと言って わたしに苦情のメールを送ってきた人々のうち、 驚くほど高い割合の人たちが自分は技術者であり、 また、「経験を積んだ」あるいは「退職した」というような意味で 年長の技術者であると名のったのだ。 これはもちろん、少数のサンプルであり、 大多数の技術者の特徴を代表するものではないことは明らかだ。[本文へ]